2017年8月20日日曜日

マイケル・B・ホーン,ヘザー・ステイカー:ブレンディスティット・ラーニングの衝撃


うまくいかない事例として,コンピュータを導入したが,授業は工場型教育なので,結局使わないし,コンピュータを使うことが目的になってしまう,という話があった。
これは本当に陥りがちなところで,自分自身の取り組みを見てもドキリとしてしまう。
技術科で注目されている3Dプリンタ。これも個人のニーズに合わせたものづくりツールとして注目されている。ものづくりに興味がある技術科教員であれば,一度は触ってみたいと思っている道具でもあるだろう。しかし,いざ授業に導入するとうまくいかない。結局教員は個別の対応に終始してしまっているという状況になる。

まず,教員と生徒の関係性が工場型教育のままだとうまくいかない。教員だけが知識を持ち,分からないことは教員に聞く,いやむしろ聞かないで行なうと「勝手にやっている」と言われてしまうという認識だ。
次に,いつそのツールを使うのかが固定されてる。個人によってつくるものが違う場合,ものづくりを支援するツールとしての3DCADや3Dプリンタを,「いつ」「どれだけ」使うのは個人によって異なる。しかし,使用するタイミングや時間を統一してしまうとうまくいかない。そもそも,どの基準に合わせて時間を設定するのか。

イノベーションには,持続的なものと破壊的なものがある。コンピュータによってディジタル化されたものづくりのツールは,十分に破壊的イノベーションを起こすための力を持っている。しかし,肝心の運用形態が従来のままでは,どこかぎこちなく,目的を見失いがちになってしまう。

2017年8月4日金曜日

リヒテルズ直子,「オランダの個別教育はなぜ成功したのか イエナプラン教育に学ぶ」

教育問題の原因について
「今の日本の教育議論では,教育問題の原因をすべて先生の能力の低さによるもの,と決めつけてしまうことが大変多いように思います。」
「学校制度のについて根底から見直し,教員の専門性と自由裁量権の保証について抜本的な改革を行うべきです。」
これについては,大いに賛成したい。周りの先生からも,もっとこうやりたいのに実際は実行に移せないという話をよく聞く。法規で決まっているものよりも,学校ごとや市町村ごとのローカルなルール(多くは慣習的なもの)が多い印象もある。
自分たちで変えられるという経験を教職員が率先して実感すべきだと思う。そうしてから,地域や保護者,児童生徒が加わり,ガバナンスに優れた学校づくりができると思う。

「個別教育では,画一教育に比べて子どもの進度に合わせやすい」
これが,個別教育のメリットとして最も大きなものではないだろうか。知識を伝達するという意味で教える側の都合からの発想ではなく,学習者側にとって都合がよく,効率的な状態にしやすいと思う。
また,生徒とのコミュニケーションも必要に応じて行なえるので,私としてもやりやすいと思う。

「個別教育を可能にしているのは,『個別指導』をするだけに留まらず,そのほかに『自立学習』と『共同学習』の場を確保し,授業の中でこれらを組み合わせて上手に取り入れているからだ」
「オランダでは,個別教育のことをよく,『サイズに合った教育』といいます」
この3つをうまく組み合わせるためには,教員の専門性は知識や技能の伝達ではないということが分かるはず。
合わせてることでうまく機能しているのが,「習熟度モニター制度」だ。

「筆記試験で測定できる能力だけで複数の子どもを比べたり,学校平均を出してランクづけたりするものではありません」
「それぞれの能力がどれほど発達しているかを確認するものです」
では,これをどのようにやっているのか。それが気になる。オランダでは,客観的で信憑性のあるものであれば,各学校が自由に選択できることになっている。
しかし多くの学校が,テスト開発センター(CITO)がICTを活用して開発した生徒モニターシステムを採用している。CBTで行うのはいいと思う。定期的に自主的にチェックするのもありだと思う。気になるのは,技能系のものは,どうやって評価しているのか。

中等教育改革の事例:スタディハウス
「『習うから学ぶへ』の改革といわれるように,教員から授業を受ける形態を減少させ,生徒自身が,教科書や参考書を読みながら,また,自分で情報を収集しながら自立的に学ぶという授業形態を大きく増やした」
「教員は,教壇から教える時間を最小限に留め,自立的に学習している生徒の自発的な質問を受け,必要に応じてアドバイスを与える,という役割を担っています」
初等教育の段階で,自立学習と共同学習のやり方が分かっていれば,中等教育,高等教育において,教員が支持することはほとんどなくなるだろう。アドバイザーやファシリテーターとしての役割に従事することが考えられる。



格好いい大人

これは何度も考えては忘れてを繰り返していることなので,再び忘れる前にメモをする。
おそらく,歳を重ねることでだんだんと分からなくなる感覚のような気もするので。

唐突であるが,大学進学以降に格好いい大人にたくさん会えた。
容姿が整っているとか,そういった意味ではなく,振る舞いや考え方が格好いいのだ。
私が格好いいと感じた点はいくつもあるのだが,共通する点は以下の点だ。


  • 今,何かに挑戦している。
  • 苦労することはあっても,楽しそうである。
  • これまでやってきた実績で語らない。
  • 今,何を考えていて,どうしたいかで自分を説明する。
  • 年齢や性別に関係なく対等に人と付き合おうとする。
裏を返せば,そうでないと格好悪いと思っているのだろうか。
自分でもよく分からないが,格好いい大人と会えたので今の自分があるのは間違いない。
私も格好いい大人になりたいし,そう生きていきたい。

書評ではなく,読書の際のメモとしての記録について

最近は就職活動が終わり,来年からの動きに関することが増えてきた。
それから,ようやく年度末に向けた動きが本格化してきてので,少しバタバタしていた。
そんな感じだったのでこちらの更新,とくに日報の更新がおろそかになってしまっていた。

言い訳はこの辺までにして,この机上の空r
机の上のメモ帳に書くことを少し増やしたい。

よく本を読むのだが,いわゆる一般書についてあまりまとめるように読むことがない。
そもそも,読んだ本をまとめるのが苦手なのだ。
いや,全般的にまとめることが苦手で,次々とあたらしいことに手を出してしまう性分なのだ。

読みながら,気になった点や分からない点などをメモすることがある。
ここのメモ帳にもそのように記述したいと思う。
なので,非常に断片的であるし,その切り取り方には私の主観が大いに含まれている。
というか,なにか新しい知識を獲得する際には,受け取り手の知識のネットワークによって受け方が違うので当たり前である。
したがって,あまり参考になるものではないと思う。もしかしたら,数年後,いや数か月後に私自身が読んでも参考にならないかもしれない。

しかし,もしも気になるフレーズや解釈があって,その本を手に取るきっかけになったら幸いである。

12月17日

博士論文の進捗は予定通りで,12月22日以降は校正作業に入れそうです。 博士論文と一緒に出す各種書類が案外多く,時間を取られています。 今は謝辞を書いているのですが,書くほどにこの6年間(学部も合わせれば10年間)本当に多くの人に良くしてもらったこと思い出し,...